ハイラルを旅しながら一期一会の情景を描く。
『カンギス』
彼の描く独創的な絵は行く先々で私の心を癒やしてくれた。
少しでも多くの人の目に留まるよう彼の絵を広めるのが今日の私に与えられた使命だ。
カンギスの絵
カカリコ村
"昔はこの門を行きかう人もいたのだろうな…栄枯盛衰とはよくいったものだ"
(実際の風景)
高原の馬宿
"雄大な景色だ… 馬とともに歩む人生を送ってみたくなるのも わからないではないな"
タバンタ大橋馬宿
"うん… たまには動物たちをじっくり眺めるのも悪くない"
平原外れの馬宿
"うーん… この馬宿は崖に囲まれて いまいちピンとくる景色がないな…"
ゲルドキャニオン馬宿
"長い年月をかけ 風によって削られた渓谷…なんとも雄大な景色だ"
ウオトリー村
"美しい海と その海とともに暮らす人々 絶景という言葉でも まだ足りないな…"
リバーサイド馬宿
"うむ この馬宿から眺める火山は また違った表情を見せているな…"
森の馬宿
"何とも趣のある造形だ… 自然はなぜこういったものを造り出せるのか…"
湿原の馬宿
"城が滅びて 100年余り経つというが 滅びてなおその威厳を保っているな…"
ヒガッカレ馬宿
"色づいて落ち行く木の葉… 大厄災で落ちた砦…何とも言えぬ 哀愁が漂う風景だ…"
マリッタ馬宿
"のどかな風景だな… たまにはこういう場所でまったりのんびり絵を描くのも悪くないな"
以上がカンギスが旅先で描いてきた全ての絵だが
お気付きだろうか…
この中に同じ絵があるのだ。
『高原の馬宿』と『森の馬宿』
何故同じ絵を描くのか。
私なりに考えてみた。
何故同じ絵を描くのか
ダブっている絵は、景色からして本来は森の馬宿の風景だと推測する。
高原の馬宿の景色は目の前に立ちはだかる木や柵からして明らかにこの絵の場所ではない。
ところが、カンギスは眼前の景色を眺めては筆を取り、時に悩ましげな表情を浮かべながらもそのキャンバスに堂々と書き殴るのだ。
一体何が見えているのだ。
絵に関して無知極まりない私がいうのもなんだが、その絵は違う。
彼の絵についてもっと知る必要がある。
ということでもっとよく見てみることにする。
…!!
これらの絵を見比べてみると、太陽、雲、丘、地面など同じものがあるではないか。
いくら絵が上手だとしても全く同じものはさすがに描けないはずだ。
もしかしたら、これらの絵は全て"同じキャンバス"なのではないだろうか。
つまりはこういうことだ。
シンプルな土地の風景を描く→その絵を土台に次の風景を描く
というように、限りある資源を無駄にしないようできるだけ同じキャンバスを使い回しているのではないだろうか。
高原の馬宿も遠方に丘があって、森の馬宿の絵に木と柵を付け加えたらきっとそれっぽくなるだろう。
ちなみに、カンギスにはウツシエの場所のヒントを与えるという役割がある。
なのでウツシエを解放していく度に彼は消えて行く。
リンクがどこのウツシエから入手するかは自由だが、ゲーム内では一応順番が振り当てられている。
1番目のウツシエ「仮初めの儀式」のヒントを与えてくれるのは、森の馬宿のカンギスなのだ。
つまり森の馬宿にいるカンギスは、設定では1番初めに出会うと想定されたカンギスなのだ。
はじめのヒントをくれるカンギスは、その絵も今後の土台となっていたのかもしれない。
広大なハイラルで絵を描きながら、その一方で環境問題にも目を向けていたのだろうか。
機敏に、豪快に。できるだけ資源を守りながら。
これが、絵描きカンギスの極意なのかもしれない。
圧倒的に上手い奴がいる
最後に…
カンギスはあらゆる馬宿に立ち寄っているが、いくつかスルーしている馬宿もある。
『山麓の馬宿』
そこの主人オッズの描く絵は、それは写真と見間違うレベルで人々から羨望の声が上がるほどだ。
世界は広いのだ。
だけど私は、カンギスの力強くも温かな絵が大好きだ。
《参考資料》