『ムジュラの仮面』を考えることは自己の解放と同義である。 ーLoMー
『ムジュラの仮面』について考えることは非常に興味深い。
タルミナの住民には製作者の魂が宿っているからだ。
そしてそのうちの誰かは、自分自身ともリンクする。
ムジュラでの出来事やその魅力、自分なりの見解を、数回に分けてまとめていく。
今回はその第一回目となる『タルミナ編』
まずは、この世界について、考えていこう。
タルミナ
冒険の舞台となるタルミナ。
そこは前作『時のオカリナ』で旅をしたハイラルとは別の異世界である。
スタルキッドが手にした「ムジュラの仮面」の魔力によって形成された、記憶と妄想が具現化した世界だとされており、タルミナの種族や住民がハイラルの住民と瓜二つであるのも、彼がハイラルにいた頃の記憶が創り上げたものだからである。(参考:ハイラル百科P32)
異世界ではあるが、タルミナへの入り口はハイラルの森の奥にあり、ねじ曲がった時空を抜けた先が、クロックタウンのシンボルである時計台の地下へと繋がっている。
リンクはかけがえのない友を探すうち、森の奥へと足を踏み入れ、気が付けばスタルキッドにエポナとオカリナを奪われていた。
スタルキッドを追いかけ、そして、タルミナへ迷い込んだ。
クロックタウンを中心にタルミナ平原が広がり、その周囲に四つの地方(沼・山・海・谷)が存在する。
地方には各種族が独自の文化を築いて暮らしており、時にクロックタウンへと出向き、種族間の交流も深い。
人々が行き交う場。そこはまさに、ターミナルな世界でなのである。
伝承 実在した4人の巨人
クロックタウンには、「刻のカーニバル」と「4人の巨人」という伝承がある。
そこに登場する"巨人"とはタルミナの4地方を守護している巨人のことであり、"小鬼"とはスタルキッド自身のことである。
前述のようにこの世界はスタルキッドが創り出したものであり、この伝承もまた、彼の記憶や過去の出来事が元となっているのである。(参考:ハイラル百科P33)
実在する4人の巨人は、スタルキッドと親交の深かった精霊が姿を変えたものだとされている。
おそらくはスタルキッドがハイラルにいた頃に交流があった精霊たちだと思われるが、一体誰のことなのだろうか。
精霊といえばデクの樹サマ、ヴァルバジア、ジャブジャブ様を思い浮かべるが、スタルキッド自体が迷いの森に迷い込んだ存在であることを考慮すると、森の中の名も無き精霊たちだろうか。
それとも、ムジュラの後に続く『トワイライトプリンセス』の4地方の光の精霊(※2)だろうか。
※2 トワイライトプリンセスの光の4精霊は時のオカリナよりもずっと以前に影の一族を追放していることから、時のオカリナの時代にもどこかに存在していたかもしれない。
詳細については分かりかねるが、その精霊(トモダチ)たちとのすれ違いや悲しい思い出が、タルミナでの伝承となり、また、破滅へ向かうこの世界に大きな影響を与えている。
クロックタウンで生きる人々
クロックタウンの人々はせわしなく動き回っている。
3日後に開催される、四界の神に豊穣を祈る祭典「刻のカーニバル」の準備に、そして、地上に迫りくる恐ろしい顔をした月。
3日後には月が落ちてくるという噂が絶えず、町の喧騒の中に混乱の声がまざる。
カーニバルを続行すべきか、それとも住民を避難させるべきか。ぶつかり合う意見。
日ごとにその焦りが募る人、まるで月など見えていないような人、諦めに近づく人、最後まで希望を持つ人。
3日間の中でじつに様々な生き方が描かれる。
冒険の裏で繰り広げられる多彩なじけんと、色濃く描かれた人間模様は、これもまた、スタルキッドの記憶から生まれたものなのだろうか。
それぞれが強烈な個性を持ったキャラクターでありながら、その行動や言動はふと自分の内面と重なる時がある。
タルミナの人々は、3日間を"生きて"いるのだ。
リアルな人間模様はどのようにして生まれたか
ムジュラの仮面はそのような"人間の深さ"が魅力のひとつであるわけだが、主にクロックタウンの中のイベント(団員手帳等)を設計したのはゲームシステムディレクターの小泉氏である。
小泉氏はイベント設計について"生まれてからの30何年かで見てきたことを、すべて放り込んだ"と語っている。(引用元:「ゼルダの伝説 〜ムジュラの仮面〜」第1回)
タルミナで巻き起こるじけんがどこかリアルで世俗的な一面を持っているのは、そうした実体験が元となってできたネタであったり、当時話題となった出来事がネタとなっているものも多いからである。
例えば"月の落下"は北朝鮮の弾道ミサイル「テポドン」騒動から生まれたもので、"牧場のUFO"も一時期TVで話題となった宇宙人による牛の連れ去り事件(アブダクション)からだ。
(参考:Nintendo Dream Vol.252/青沼英二さんロングインタビューより)
特に小泉氏はアブダクションのネタを取り入れたかったらしく、そのイベントをする為にロマニー牧場を作ったほどであり、相当な思い入れがあるものと想像する。
(おかげさまでこのネタはムジュラの中で最も好きなネタである。)
この奇妙でコミカルな世界では他にもたくさんのじけんが起こる。それらは全て、自分たちの日常をぎゅっと凝縮したものに過ぎないのかもしれない。
ムジュラの”怖さ”
ムジュラのテーマでは"怖さ"をアピールしている。
恐ろしい月や不可思議な世界観など、時のオカリナとは違ったホラーな要素が満載だが、ここで伝えたい"怖さ"というのはそれとは違う種のもののように感じるのだ。
64版のアートワークでは、リンクはデクナッツやゾーラといったメインのお面を持っている。
一方で、3DS版のメインビジュアルでは、リンクが手にしているのはデクナッツでも、ゾーラでもゴロンでもなく、ストーリーにほとんど関わりのない「まことのお面」である。
画像引用元:HISTORY | ゼルダの伝説ポータル | Nintendo
この点について、何か意図があるのではないかと思うのだ。
3DS版メインビジュアルについて、青沼氏は
"(まことのお面を持っているのは)全体のおさまりのよさというか、色のバランスで決めました。あと、まことのお面が一番怪しそうな感じもして、リンクの意味深な表情とも相性がよかったんです。(一部省略)町の中のドラマが濃いゲームなんですよっていうのを見せたくて、町の中のキャラクターをなるべくたくさん出すようにしたんです。"と語っている。(参考:Nintendo Dream Vol.252 P20)
私にはまことのお面が持つ"怖さ"こそが、ムジュラの怖さのテーマなのではないかと、ふと考える時がある。
というのも、まことのお面については、時のオカリナ時代にお面屋がこのようなことを語っているからだ。
「人の心を見通せる・・という べんりなようで それは恐ろしい道具」
「なんで恐ろしいかって? それはあなたが人生経験をつめば やがてわかることです」
お面屋は同じ発言を、ムジュラの仮面でもしている。
ムジュラの制作話では、
”『時のオカリナ』でいろんな要素をたくさん詰め込んだんですけど、そのなかで、消化不良になったり、十分に活かしきれなかったものもあったんです。そのひとつがお面屋さんで・・・。”(参考:社長が訊く『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 3D』|ニンテンドー3DS|任天堂)
と仰っており、ムジュラの仮面ではこのお面屋の持つ奇妙さや怖さといったものにスポットライトが当てられることとなったわけである。
ムジュラの怖さとは、そうしたリアルな"人間の怖さ"を描いているのかもしれない。
リンクの表情が意味するもの
メインビジュアルについてもうひとつ挙げると、当初のリンクはもっとニッコリとした笑顔だったそうだ。
それが、あのような意味深な表情へと修正された。
理由は定かではないが、
きっと、色々と見てきたのではないか。
ハイラルで見た血塗られた歴史、宗教弾圧。
これまでの冒険を通して、リンクはやはり色々と見てきたのだと思うのだ。
愛する人は、親友と駆け落ちしたのだろうか・・
心を寄せる人が結婚してしまう前に、世界が滅亡するだろうか・・
小さな不安は、小さな猜疑心へと変わる。
その時、仮面の下ではどんな顔をしているのだろうか。
怖い、逃げたい、けれど僕には仕事がある・・
僕の本当の顔はどれなんだろうか。
アンジュとカーフェイが結ばれるためには、お婆さんをスリから助けてはいけない。
人の幸せの裏で、不幸な目に遭う人もいる。
それを知らずに済む人生もあれば、知っていながら生きることもある。
その時、その人は本当に幸せといえるだろうか。
クリミアさんの気持ちは間違っているのだろうか。
何かに縋ることは罪なのか。
人は誰しもが仮面を被っているのだろうか。
仮面とは、偽りの自分なのだろうか。
どれが本当の自分なのだろうか。
何を守るのか、何が大切なのか、悩み、葛藤を抱え、怒号をあげ、苦しみ、泣き、家族かしきたりか、仕事か命か、親友か恋人か、それぞれの選択を迫られる。
何が正しいのか、正しいことってなんなのか。
その質問に、答えなどあるのだろうか。
あるとしたら、リンクはどのように答えただろうか。
ハイラルで経験した出会いと別れ。
タルミナで見てきた人と人の関わり合い。
時を越えた冒険で、十分過ぎるほど人間というものを見てきた。
リンクの表情が意味深な笑みを浮かべているのは、リンクには、"オトナ"というものがなんなのか、少し理解できていたからだと思うのだ。
クリミアさんだって、そう認めてくれていたから。
第二回へ続く
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