厄災ガノンがクモのような見た目をしている件について不思議に思ったことはないだろうか。
私は、たまになんでだろうと考える。
なぜならこれまでの「ガノン」は全ての作品において豚か猪のような姿をしているからである。(クグツガノンは除く)
それは魔獣ガノンがそうだから厄災ガノンは見た目を変えたに過ぎないのだが、人型ではなく、ヘビでもカメでもなくあらゆる選択肢がある中でなぜ"クモ"になったのかが気になるのだ。
そこには必ず理由があるに違いない。
真っ先に浮かんだのは、「復活の際にクモを取り込んだから」という説だ。
ハイラル城の至る所に蜘蛛の巣が張られていることからも、城に蜘蛛がいることは確実である。
取り込んだ古代遺物が厄災ガノンの身体を形成していることを考えると、厄災という概念でしかなかったガノンは、実体を持つにあたり何かしらの物体を取り込む必要があったのではないかと推測する。
厄災の黙示録では、人間を取り込んだことで人型へと変貌を遂げた。
つまりガノンの怨念は取り込んだものが身体に反映されるのだとしたら、クモの姿をしているのも"クモを取り込んだから"だと考えられないだろうか。
仮にそうだとしよう。
だが、それではまだ厄災ガノンがクモでなければいけない理由はない。
偶然クモを取り込んだのなら、時と場合によってはアリやハチだった可能性もあるわけで、私としては納得がいかない。
最終的にクモ型ガノンにいきついた理由を、私なりに考えてみた。
土蜘蛛説
結論からいうと、厄災ガノンは「土蜘蛛」なのではないかと考えている。
土蜘蛛というのは、ざっくりいうと巨大な蜘蛛の妖怪である。
平家物語などの書物をはじめ、現代でも能や歌舞伎の演目で「病に侵された源頼光が退治する化け物」としてポピュラーな妖怪である。
ただ、妖怪とはいっても土蜘蛛の歴史はかなり古く、その背景には複雑な人間同士の争いがある。
古事記や日本書紀、風土記の中で記されている土蜘蛛はれっきとした「人間」だった。
古代における「土蜘蛛」とは、ヤマト王権に反発した異民族たちの蔑称である。
ヤマト王権が全国を統制していく中で辺境の地に暮らす豪族たちを人種の違いから異形視し、まつろわぬ者として討伐の対象としたのだ。
「土蜘蛛」と呼ばれた人々の特徴としては、
・身丈は小さくて手足は長く、毛深い見た目をしていた
・土を堀り洞穴に住んでいた
・主に女性首長だった
ということが風土記などの書物に記されている。
また、一説では住んでいた地域や身体的特徴、生活様式から縄文色の強い人種だったという見解もある。
歴史や伝承はいずれも勝者の視点で描かれるものである。
各地で勃発した土蜘蛛との勢力争いは、時代を経て「土蜘蛛征伐」というヤマト朝廷の伝承となり、彼らを朝廷への反逆者として極端に歪んだ視点で描いたものが、現在の「土蜘蛛」という妖怪として定着していったのである。
そうして生まれた妖怪としての「土蜘蛛」は、芸能などの戯曲の題材となった。
鎌倉後期以降の絵巻物に記されたものでは、浮遊した髑髏が出てきたり、土蜘蛛の腹を切るとその中から1990個もの人の首が出てくるなどおどろおどろしい描写も多く、頼光らが討った土蜘蛛は"怨霊"という印象が強くなっていく。
現代の舞台でも、多少脚色が加えられてはいるが怨霊としての土蜘蛛をベースにしたものが一般的だ。
能や歌舞伎の演目における「土蜘蛛」は、かつて人間だった者たちの怨念が千年以上の時を経てこの世を魔界にすべく蜘蛛の姿をした妖怪となって現れたということが、台詞からも見てとれる。
とまぁ、長ったらしくて恐縮だが、「土蜘蛛」とは人間の怨念から生まれた蜘蛛の妖怪だということである。
説明の中で既に厄災ガノンを連想させるワードがいくつか出てきたと思うが、厄災ガノンと土蜘蛛の共通する部分をまとめてみた。
・反王権勢力として討伐(統治)される
→時のオカリナ時代の統一戦争におけるゲルド族
・辺境に住む女を首長とする異部族
→ハイラル人からみたゲルド族
・縄文人をルーツとした人種(諸説あり)
→ブレスオブザワイルドの古代遺物のデザインは縄文文化を取り入れていることから、文化的な面で厄災ガノンのモデルが土蜘蛛だとしても不自然ではない
・かつての人間の怨念が、千年以上の時を経て蜘蛛の姿をした怨霊となって現れた
→かつて人間だったガノンドロフは長き時を経て怨念となり厄災ガノンというクモの姿で現れた
・腹の中から1990個の首
→魔獣ガノンの体内の大量の怨念の目
・日本を魔界にしようとする巨大な蜘蛛の妖怪
→もはや厄災ガノン
両者にはこうした共通点が挙げられる。
そこから着想を得て、厄災ガノンはクモのバケモノになったのではないかと思った次第である。
もっとも、単に多くの武器を使い空間を最大限に活用するための「ハ本足」かもしれないが。