ハテノ村の村長 クサヨシ家
ハイラルの東の果てに位置する長閑な村。
そこでは伝統工芸である染色屋をはじめ、農業や酪農などが盛んに行われている。
南に下るとハテノビーチ、北を仰げば霊峰ラネール山と、見所も多い自然に恵まれた村である。
100年前、ハテノ村は大厄災を免れたというが、年配者の話によれば、昔はこの辺一帯も畑ができる状態ではなかったという。
直接的な被害がなかっただけで、実際はそれほど穏やかでなかったことが窺える。
復興を遂げたハテノ村の人々は、皆一様に"平和"という言葉を口にする。
今の平穏で長閑な環境を心地よく感じていることだろう。
村の中心部には、村長の家がある。
ハイリア文字に馴染みのない者からすると分かりづらいが、村人たちには一目で分かる。
門の上に「村長」と書かれているからだ。
村長はクサヨシという男で、妻のクレーヴィア、娘のクーリンと3人で暮らしている。
クサヨシは温和な人柄で、村のことや大厄災について丁寧に教えてくれる。
だが、こちらの事情には踏み込まず冒険の道を示すこともない。
ひたすら自分の手で畑を耕すクサヨシは、村長というよりも一村人という印象を受ける。これは、彼なりの配慮なのだと思っている。
クレーヴィアは、ラネール山の三本杉の秘密について、ひとり思い悩んでいる。
家にあった古い本の中に、その秘密が書かれた手紙が挟まっていたそうだ。
手紙は誰が書いたのだろう。先代の村長だろうか。
この手紙を書いた人は勇者のために作られた祠の存在を知っていて、それを後世に伝える役目があったのだろう。
財宝に夢を見ていたクレーヴィアは期待が外れて落胆していたが、彼女は秘密を伝えるべき相手を完璧に見定め、先代の村長に代わってその重大な役目を果たしたといえよう。
クーリンは、唯一幼児姿のプルアを目撃した村人である。
プルアも"お友達になりたい"という純粋な少女の願いに応えてあげればいいのにと思う。
そんなクーリンは雨の日になると、少し変わった絵本を読んでいる。
白馬に乗った王子のような人物。
山間に見える城。
青い服と剣。
それはハイラルの勇者を思わせるものであるが、この絵本はどういったものなのだろうか。
絵本には表紙がある。
そこに書かれた文字は残念ながら解読には至らなかったが、予想としては、表紙は「ハイラル」、背表紙には「ストーリー〇〇」という文字が書かれているように見えた。
ちなみに、「Fairy Tale(童話)」ではないかという意見もいただいた。
なんといってもこの絵柄だ。
この絵本は歴史書というよりも、ハイラルを舞台とした童話であるような気がしてきた。
クサヨシ家には、祠の手紙が挟まっていたという古い本やハイラルの勇者を思わせる絵本など貴重な書物があることからも、伝承を紡いできた由緒ある家系であることは間違いなさそうだ。
村長の家の塔
村長宅は村人の会合の場としても使われている。
厳密にいうと、使われているという設定がある。(参考:マスターワークスP.261)
その為、他の家と比べて少しだけテーブルが広い。
玄関のすぐそばには、「祈る」の文字と女神像。
女神像といえば、村の入り口やランドマークなど、誰でもアクセスしやすい場所に置かれていることが多い。
このように個人宅に併設されているのはゴロンシティとハテノ村だけだ。
女神像のすぐ横には、煙突よりも遥かに高くそびえる塔がある。
中を覗くと、物置小屋のようだ。
天井は、一階くらいの高さしかない。
しかし塔を外から見ると窓があり、最上部には四面に取り付けられている。
すなわち天井の上には空間があるということだ。
マスターワークスの検討稿では、塔の中は4層に分かれていて、壁に取り付けられた梯子から最上部まで上がれるようになっている。
そして最上部には、「鐘」がある。
すなわちこの塔は鐘塔なのである。
最上階をよく見てみると、確かに空間があるような造りをしている。
マスターワークス通りだとすると、かつてはハテノ村が一望できるこの塔から鐘を鳴らすこともあったのだろう。
村長の家には村人たちが集い、祈りを捧げる女神像があって、鐘塔がある。
まるで教会のようだ。
少なくともハテノ村のどこかに教会はあったはずだ。
自宅の風景画で、その存在が示唆されている。
消えた教会
村長宅には歴史的な書物や女神像、鐘塔があって、今でも村人の会合の場として使われていることから、かつては教会や集会所としての役割があったのではないかと推察する。
となると、私が気になるのは"なぜ今は教会として使われなくなったのか"ということだ。
自宅の風景画は、教会以外にもハテノ研究所らしき建物もあることから、おそらく百年以内の村の風景だろう。
検討段階では、村長宅を教会とする予定だったのかもしれない。
だが、そうでなくなったのであれば、いっそのこと鐘塔は無くして女神像も村の中心に置けばいい。
ところがそうはせず、あえて教会であったかのようなオブジェクトを残し、"今は使われていない"設定にしている。
リアリティを出すために手の込んだことをしたのだろうか。
なぜ教会が無くなってしまったのか、私なりに考えてみた。
ハイラルにおいて教会というのは、作品によってその意義は様々であるが、共通して言えることは「祈りの場」であることだ。
神々のトライフォースの教会は、封印戦争の戒めとして建てられた。(参考:ハイラル百科P.65)
トワイライトプリンセスでは、魔物から子供達を匿う場として使われていた。
戦争であったり魔物であったり、過去の罪や大きな不安材料があるからこそ、教会は救済の場として存在できる。
教会とは、人々の心の拠り所なのである。
その拠り所である教会がなくなったハテノ村は、すなわち人々の信仰心がなくなったということなのだろうか。
おそらくそうではないだろう。
個人的な考えだが、村人の信仰心がなくなったのではなく、どちらかというと誰もが不安を抱えておらず、平和であることを信じてやまない村の空気がそうさせたのではないかと考えている。
旅人のリーセは、大厄災が終息していないことに気が付いている数少ない人物だ。
彼女の言葉を借りると、「ハテノ村の穏やかさが じつはどこか危ういもの」ということだ。
長閑なハテノ村はどこから見ても平和な村だ。
だが、姫と勇者がいなければ再び厄災が復活し、世界は終わりを迎えると言われている。
この国がそんな危機的状況であることを、この村の誰が知っているだろう。
きっと誰も知らない。
だから、ハテノ村は平和なのだ。
だが、ハテノ村はそれでいいのだ。
ブレスオブザワイルドの魅力はなんといってもその"自由さ"にある。
目的はハイラルを救うだけでなく、この世界をのんびりと探索したり、寄り道を楽しむことがブレスオブザワイルドの醍醐味である。
ハテノ村に限らず、この国の人たちの"危機感の薄さ"は、その楽しみを奪わないための配慮なのだと思っている。
「心ゆくまで くつろいでいって下さい」という言葉に、開発陣のその想いが集約されているように思うのだ。
少しメタ的な話にはなってしまったが、ハテノ村から教会が消えたのは、村人が不安を忘れるほど穏やかに暮らしているということの表れで、リンクが厄災討伐という使命をひとときだけでも忘れさせてくれるような居心地のいい村という印象付けの為ではないだろうか。
心が安らぐ村。
それが、故郷というものではないだろうか。
幻の鐘
村長の家が教会だったかそうでなかったかに関わらず、塔の最上部には鐘があって、今では使われなくなったということは事実である。
決して見ることができない鐘。
だがもしかしたら、私たちはそれを目にしているかもしれない。
たった一度しか見れない鐘を、覚えているだろうか。
イチカラ村の結婚式である。
この日に限り、イチカラ村の中央がチャペルとなり、鐘が取り付けられる。
女神像の祭壇に鐘が付けられるようになっている仕様からして、エノキダはここをチャペルとしても使えるよう想定して作っていたのだろう。
かつてハテノ村で人々の心を洗礼し、今はもう使われなくなったあの鐘の存在を、エノキダは知っていたとしたら。
村の開拓にあたり、かつての鐘の音に平和と繁栄の願いを込めようと思ったのかもしれない。
根拠はどこにもない。
だが、ハイラルの復興を願うサクラダ工務店だからこそ、そんな粋な計らいがあったらいいなと思うのであった。
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